「どのようにキックを作っていますか?」
こんな質問をたまに見る。
とてもいい質問だ。
一応、メッセージなどはチェックしている。
ただし。曲を作ること以外に優先することは無いと思っているため、返事は期待しないでいただきたい。
音楽を作る人間ならそういうもんだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
残念ながら、私は他人に関わるほど自分に対して興味を持っていない。
なのでこれからも自分の道を進む。
そんな少数派の人間が質問者に対して感じることはこうだ。
普通に曲を作っていればキックなんて簡単に出来るだろう。
この思考も少数派らしい。
そもそも、曲を沢山作っていることが少数派なのだ。
だから思考内容も少数派になる。
落ち着いて考えればこうなるのは予想できた。
では、少し離れて。質問者と私を見てみよう。
・何か。方法論、手順みたいなものがあり、それを知ることで出来ると思っている質問者。
・体感として、800曲作ったあたりで納得できるキックが作れるようになると考える自分。
両者には大きな隔たりがあるように見える。
これを「バカの壁」と呼ぶのだろうか。
もう1700曲以上作った。そうなると、感覚、知覚、体験を説明するのは容易ではない。
では。もし、質問に対する説明を用意するならどのような答えが良いのだろうか。
ところで、私は宗教に興味はないが、曲作りには興味がある。
これはつまり。言い換えるなら、私は「曲を作れば幸せになれる教」の教祖だと言える。
そんな「曲を作れば幸せになれる教」の教えを説こうとするならこうなる。
「とりあえず100曲つくりなさい」
これで「どのようにキックを作っているのか?」という質問に答えている事になる。
私は曲作りに関する質問が来たら「曲を作れば幸せになれる教」として回答している。
これなら説明責任を果たしたと言えるだろう。
しかし、これでは納得しない人が出ると思う。
なぜなら、納得しない人は方法論を慮る方法論信仰宗教者だからだ。
と、そんなことを言っているから、人類は争いをやめないのだろう。
そこで、バカはバカ同志。
折り合いを付ける必要があると私は考えた。
そのために用意したのが「キック理論」である。